DysFuNcTioN

思想と思考と素行。

お手紙ごめんなさい

昨日は311で、東日本大震災が13年前にあった日ですが、2001年にあったアメリカの911の時、わたしはロサンゼルスにいました。

語学留学ですので、大学は行っておりません。

そのころからわたしはインターネットをしており、現地のアパートにも当然回線を引いてインターネットを楽しんでいました。

ある朝、起きていつのものようにパソコンを付けると、「こんな時でもあいつは寝てるのかな」とわたしのことを言われていたので、何かなと思ってテレビを付けました。

するとワールドトレードセンタービルの中腹が燃えていて、ちょうど2機目の飛行機が追突する場面でした。

アメリカのテレビですので当然英語です。

わたしは拙いヒアリング力を駆使して情報を得ようとしました。

その時点では何がどうなってるかまだわかっておらず、ハイジャックされたということしかわかっていませんでした。

その後の詳しいことはみなさんもご存じのとおりです。

 

飛行機はわたしのいるロサンゼルス行きの燃料たっぷり入っていたものだったので、当然ロサンゼルスも、いえ、アメリカ全体が厳戒態勢になりました。

街の空気はピリピリし、そこら中に警官がいて、本当に物々しかったのを覚えています。

 

わたしが住んでいたのは、昔黒人の暴動があった教科書にも載っている治安の悪い所で、そんなところにまず日本人は住みませんでした。

そんなアパートの中庭で、ある日の深夜騒動が起きました。

女性が「あなたアフガニスタンだから信用できないわ!」と叫んでいるのです。

深夜2時くらいでした。

男性は大丈夫だとか俺は違うとか言っていたと思います。

しかし女性の叫び声は収まることなく、「誰か911(向こうの110番)して!」という事態に発展しました。

恐らくですが、その時女性は走って逃げて、それを男性が追いかけて蹴ったか何かしたのだと思います。

上の階に住んでいる方が「あなたのために911したわよ」と声掛けをすると、男性も自ら911をしたようでした。

言い争いは続いていましたが、のちに双方の警官が到着して静かになったのでわたしはやっと眠れました。

 

なんというか、その頃の恐らく各地もそうですけどロサンゼルスは、アフガニスタンというだけで白い目で見られ、恐れられていました。

彼らはひげを生やしているので一目瞭然なのです。

 

後日わたしの元へ一通のお手紙が届きました。

開封すると裁判所からで、あの夜のことをもし知っていたら証言してほしい旨のものでした。

待ってくれ、英語やで。

英語の裁判で証言なんてできるわけない。

そしてわたしは聞いていただけで何も見ていないし、その聞いていたのだって正しく聞けていたかもわからないのです。

わたしはごめんなさいと思いながらその手紙を捨てました。

 

まあアメリカの治安の悪い所に住んでいるとこういうことも多々あります。

パトカーのサイレンの音とともに銃声が移動していったこともありますし。

そんな中、わたしも一度だけ危ない目に遭ったことがあります。

それはまた長い話になるので、次回にいたしましょう。

 

外国に住むのは刺激的ですよ。

お薦めしたい次第でございます。

 

では。